今年もフレディの誕生日、9月5日がやってきました。
この日は、一つだけ詩を載せることにしています。
今年は早々と決まっていたのです。
しかし5日になって、これは違うと気づき、
それから急いで、でも落ち着いて選び直しました。
いつの間にか、フレディが亡くなった年を超えてしまい、
老人という新しい体験に、一歩一歩近づいています。
年齢を重ねるということは、経験を積んでいくことなのに、
なぜか不安や恐れは嵩がましていくものなのだと、
うっすら感じています。
内なる迷いと、どう付き合っていくかが、きっと大切な課題になるのでしょう。
フレディが生きることのなかった年齢を生きている私から、
3日遅れの、お誕生日おめでとう。
今年は、リルケの詩を。
そうだ、私たちはいるのだ
けれども私たちにとって日々が速やかに
まぼろしとともに過ぎ去ってゆくのは
ほとんどの羊の群にとってと変りがない
私たちもまた 牧場がたそがれる度毎に
帰ってゆくことを望んでいるのに
誰も私たちを小屋へ追い込んでくれる者がない
私たちは昼も夜も いつまでも外に残っている
日光は私たちに快く 雨は私たちを驚かす
私たちは起ち上ったり 身を横たえたり
いくらか勇気をもったり 臆病になったりしている
ただ時おり 私たちがこのように苦しみ悩んで 熟れながら
それでほとんど死にはてようとすると そんなとき
私たちが理解できないすべてのもののなかから
ひとつの顔が生まれ それが輝かしく私たちを見つめている